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人間の歴史は

a0026058_142648.jpg戦いの歴史であると言われる…これだけ多くの人々が平和を望み、叫んでいるのに何故こうも愚かに繰り返し争うのか‥様々な考えを巡らせているうちに、ふと私の耳にブラウン管からニュースが流れ込んできた、日本の『北朝鮮』という呼び方に対しての抗議として朝鮮民主主義人民共和国側は日本を『ジャップ』又は『島国日本』と呼ばざるをえないという内容であった。我々に一切の偏見は無くとも、現実彼らはそれを、侮辱と受け取っていたのだ。
こういった場合、こちらが呼び方を改めるべきなのか、先方に対して偏見は無いと主張し続けるべきなのか...。こと最近私は思う...。世界規模の争いや身近な争い(イジメetc)そこに居るのはやはり一人の人間であって、その大小には無関係、いやむしろなんら変わりないものなのだ。例えばAの少年が、Bの少年に対して悪気も無く吐いた言葉もBにとって侮辱に感じる言葉であった場合、Aに対して批判し言い合いになる、ごく日常的にあり得る光景である。しかしこれが、人と人から国と国へと置き換えられてしまうと大きな問題に発展しかねない、こういったお互いの感じ方によって左右される展開を打破してゆく決定的な方法はあるのだろうか。いくら動物愛護を唱えようとも人間はこの地球上の支配者であるといえるのだろう、だからこそ、同じ人間同士のコミュニケーションが最も不可欠なのではないだろうか、近年携帯電話などの爆発的な普及や日本特有のゲーム産業の発展に伴い、疑似体験や画面上での交流に移り変わる真只中に私達が居ることは言うまでも無いが、進化し続けることが進化とは限らないのだ。土を耕し、種を埋め、芽が出て、実をつける...。その実を摘み続けることが進化では無いのだ、実を摘んだならばまた土を耕さなくては、継続はあり得ない。地球という巨大な樹が枯れる前にどれだけの人々がそれに気付いていくのだろう...。
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by hisomi-tnp | 2004-06-08 14:28 | 繁栄のムコウ
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