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『逆説・仲間外れの蝙蝠』

この曲の産まれるきっかけになったのはソウル・ウィリアムズ主演の映画『Slam』でした。刑務所内での派閥、こちらかあちらか、選択しなければ、どちらも敵になってしまう、そんな傾向がごく日常的にあり得る事を感じ、ふと昔母親に買ってもらった憶えのある童話、『仲間外れの蝙蝠』が脳裏をよぎったのです。この中では蝙蝠が獣達の国と鳥達の国、そのどちらとも仲間だと言って信頼を失っていく様が描かれていました。しかしながら、実際はどうだったんでしょう、どちらとも仲間ということが果たして悪い選択なのでしょうか、そこで私はまた別の角度から、この物語を切ってみようと思ったわけです。
つまり、実はこの蝙蝠が純粋に平和を願っていたのだとしたら?という切り口です。この断片に何が見えてくるのか、私以外の人達にどう映るのか、平和を実現することの難しさ、それでも平和を願う気持ち、忘れてはいけない何かが皆さんに伝わる事を祈っています。
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# by hisomi-tnp | 2004-06-08 17:44 | タビユケバ

様々な時代、

様々な場所、様々な理由、ごく身近なところにもある『戦い』過去、歴史、文献、伝記、その全てが事実では無いかもしれない、それでも何かを探していると信じたい。過ちの繰り返し、人間は忘れる生き物だと聞いたことがあります。進むばかりが進化じゃない、僕は鉛筆で『平和、平和、平和』と書き連ねるならば、『平和』という文字を何度もなぞりたい...。色濃く...。やがて紙は筆圧で深く刻まれたように跡を残し、重ねられたその筆跡は艶やかに産声をあげる。そう思い、ふと『書道』の極みを感じた気がしています。若輩ながら。
...つづく....かも...。
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# by hisomi-tnp | 2004-06-08 14:35 | 繁栄のムコウ

昼下がり、

広くなった道は平たく伸びた漆黒の装いに無言で佇んでいる。かつてそこに無数の動物達の足跡があったことをまるで感じさせない。南西の桑畑も今ではすっかりその影を失ってしまった、そこにいた蛙や蜻蛉は今どこへ...。身の回りのモノ全てが簡略化され便利で使いやすく形を変えていく、多くの人々は目の前に置かれたその物体について何からできているのか疑問にさえ感じない、我々日本人にとっては当たり前であるスーパーに置かれ丁寧に切り分けられた肉達を見て遊牧民達は云う、『何の肉だか、何処の肉だか分からないモノはタベラレナイ』と、これを聴いてハッとさせられる方はいるだろうか、確かにおっしゃるとおりなのだ、私達は完全に目の前に表示される『安心』を恐ろしくもあっさりと受け入れているのだ。
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私自身過去にとある食品を扱う仕事に携わっていたが、驚かされたことは山程にあった、それはまた別の機会にお話するとして、様々な要素が絡み合って私の中で、一つの『実感』が生まれていることに間違いは無かった。大袈裟に思われるだろうが、仮にたった今社会が機能しなくなったとしたら、生産者と消費者、ひいては雇用形態などに革命ともいえる逆転が起こりえないだろうか、簡単にできる事こそ複雑な中身があるのかもしれない、だとすれば我々が今後必要な事は進化の過程をもう一度考えることにあり、それが『脳』の退化を避ける為の唯一の手段であると私は考える。...つづく
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# by hisomi-tnp | 2004-06-08 14:32 | 繁栄のムコウ

人間の歴史は

a0026058_142648.jpg戦いの歴史であると言われる…これだけ多くの人々が平和を望み、叫んでいるのに何故こうも愚かに繰り返し争うのか‥様々な考えを巡らせているうちに、ふと私の耳にブラウン管からニュースが流れ込んできた、日本の『北朝鮮』という呼び方に対しての抗議として朝鮮民主主義人民共和国側は日本を『ジャップ』又は『島国日本』と呼ばざるをえないという内容であった。我々に一切の偏見は無くとも、現実彼らはそれを、侮辱と受け取っていたのだ。
こういった場合、こちらが呼び方を改めるべきなのか、先方に対して偏見は無いと主張し続けるべきなのか...。こと最近私は思う...。世界規模の争いや身近な争い(イジメetc)そこに居るのはやはり一人の人間であって、その大小には無関係、いやむしろなんら変わりないものなのだ。例えばAの少年が、Bの少年に対して悪気も無く吐いた言葉もBにとって侮辱に感じる言葉であった場合、Aに対して批判し言い合いになる、ごく日常的にあり得る光景である。しかしこれが、人と人から国と国へと置き換えられてしまうと大きな問題に発展しかねない、こういったお互いの感じ方によって左右される展開を打破してゆく決定的な方法はあるのだろうか。いくら動物愛護を唱えようとも人間はこの地球上の支配者であるといえるのだろう、だからこそ、同じ人間同士のコミュニケーションが最も不可欠なのではないだろうか、近年携帯電話などの爆発的な普及や日本特有のゲーム産業の発展に伴い、疑似体験や画面上での交流に移り変わる真只中に私達が居ることは言うまでも無いが、進化し続けることが進化とは限らないのだ。土を耕し、種を埋め、芽が出て、実をつける...。その実を摘み続けることが進化では無いのだ、実を摘んだならばまた土を耕さなくては、継続はあり得ない。地球という巨大な樹が枯れる前にどれだけの人々がそれに気付いていくのだろう...。
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# by hisomi-tnp | 2004-06-08 14:28 | 繁栄のムコウ