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hisomi a la mode

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インスタント人間にならないために

人の防衛本能は安心安全なところに傾きたくなるのが自然である。だからこそ慎重に見極めていかなければならない。人工的な電離放射線が物質に及ぼす影響、晩発障害という曖昧な位置付け、報道に見られる偏見、物事の裏側の人間関係、金銭の動き、偽善には見えない考え込まれた偽善。何が正しく、何がおかしいのか、そんなことはもう既に分からないくらい複雑に絡み合って現在がある。
多くが安く、早く、そして需要を満たし取りこぼさないために大量に生産される環境が作られてきた今、直接我々が日々口にする食品や日用品のルーツをどこまで掌握しているのだろう。同志たちと桐生市で「六ヵ所村ラプソディー」の上映会をした時にも同じことを言ったのを覚えている。身の回りのあらゆるもの、それらが何から出来ているのかを明確に説明できる人はとても少ない。今もそう、分からないまま目の前に現れた物を消費し、そしてそれらが去っていく先もまた、分からないで暮らしている。本来は第一次産業無くして全ては成り立たないのに、正に有耶無耶である。群大名誉教授の高野庸さんは現代の教育について根本的な問題を示している。要約すると例えば戦後の教育そのものが試験と競争のために作られている点、そして様々な分野が細かく分かれ過ぎていざという時にまとまった本質に辿り着けない点。これらの弊害は原発事故、その後の政府や東電、各市町村に日に日に顕著に現れて来ているように思える。そしてその根本的な原因として「食」が大きく関係していることは否めないし、農薬やPVC、TPPなども無関係とは言えない。つい先日も総合病院で痛感したのは院内の食に対する認識の違いである。例えば看護士に「牛乳を飲めない」と言えば「栄養士が言うにはカルシウムが摂れないといけないので飲むヨーグルトか固形ヨーグルトでどうですか?」といった調子であった。ここで現代における共通の問題点が二つ隠れている。まず一つ目は専門外のことは疑問視せずその道の専門家の見解を鵜呑みにしてしまう点、そして二つ目は食を捉える時に栄養、カロリー、塩分などが先行してしまっている点。残念ながら病院で出てくる食べ物を見て栄養士の役割に疑問を抱かずにはいられない。看護士に罪は無いが罪の意識が無いからこそ恐ろしいのだと思う。産地や農法、調理法、動物食、乳製品、白砂糖、食品添加物、遺伝子組換え、放射能汚染、それらをきちんと受け止めた上で食事というものを考えていくこと。この先、病に苦しむ人たちが食べる食事こそ食のお手本と言われるようになる日が来ることを望まずにはいられない。

善いものも悪いものも長い間をかけて積み重なっている。だからこそ一世代で解決しようとは思うのではなく、世代を越えて変えていく、変わっていく方向へと舵をとる必要がある。原発を全て廃炉にすること、そして世界の核とそれを取り巻く状況に目を向けること、それを踏まえても踏まえなくても必ず来るであろう世界に対し、人間の生命力と智慧、そして何故そうなったのかを伝えていくこと。案外昔の人は自分たちには想像もつかないくらい頭が良かったのかもしれないし、物事の形式だけが本質を置き去りにして伝わってきたことで、必要であったはずのものさえも誤って捨ててしまったのかもしれない。無論自分たちの世代で出来る事には限りがある、しかし可能性は限りなくあるのも事実だ。
自転車で六ヵ所村と祝島を往復しているAKOちゃんは今の社会は「人の言うことを聞く人を育てている」と言った。正にその通りで、立派な肩書きを持った人間が必ずしも正しいことを言っているとは限らない。「まずは無知の知から」これは全ての分野に言えるのではないだろうか。

「通行の妨げになりますから歩道にあがってください」

そう言い続けている人たちの妨げとなっているものはなんだろう。
自分たちの生活が大切なのは、推進、反対、慎重、全ての人たちに言えること。我々はつい一つの答えを求めてしまう。しかし「どちらか」ではなく「どちらも」という調和する心持ちが豊な四季を魅せてきた日本の素晴らしさではないだろうか。

とりあえず、ネオンと看板を全部とっぱらいたいものだ。
by hisomi-tnp | 2012-05-28 09:19 | 時の声(war cry)
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